まあ、学歴社会は根底から覆らないでしょうし、職業の自由を確保するような資格をもつことは、経済的な武器になります。
外国語を話せれば、人から「すごい」といわれますし、仕事を選べるようなスキルの持ち主は、素敵に輝くでしょう。
しかし、人生、ときに、ときとして、そうではない学びも必要になるのだなあ、と思う時があります。
自分が一体何者か自分の人生を解るための学びだったり、人生の謎を発見するためだったり、自分の自由のためだったり、そういうことのために始まってしまった学びは、スタートラインがとても曖昧で、現状確認もわかりづらいでしょう。
ある程度まで学び終えないと、人生の扉が開いていたことすら見えてこなかったり、ドアの向こうの新しい景色が広がっていることまでわかりなかったり。
でも、こういう途方もない自分への挑戦に着手した人は、自由に学んだり、自分だけの新しくゆたかな時間を手にしていくなあと、思うことがよくあります。新緑の葉が輝きが人間の可能性に重なるように。
新しい季節が始まり、新たに教室にお越しいただく方々の緊張した笑顔の奥にとても思慮深い知的活動が見え隠れし、私はいつも感嘆していますので、ちょっと思ったことを書いてみました。